石巻湊小学校でのボランティア活動

週末の宮城入りも三週目となりました。

まず土曜日は柴田町のマルコーというスーパーに立ち寄り、注文してあった野菜、靴、トイレットペーパーその他の代金70万円を支払い、その他、避難所の係の方から緊急で必要だと言われたソーイングセット、生理用品、油性マジックなどを追加で購入しました。

両親に買っておいて貰った土嚢袋2000袋もトラックに乗せてもらい、いざ石巻へ出発。マルコーの専務、店長、マルコーを紹介してくれた父の友人、そしてうちの両親もついてきました。

仙台あたりから石巻につながる三陸道は片道一車線になってしまうので、結構渋滞しています。普段こんなに車が入って行く所じゃないんでしょうねぇ。支援のための車でいっぱいです。やじうまも多いとは聞きますが。

インターを降りると、その辺りは全く普通の町の風景でした。大きなスーパーイオンがあり、K's電気があり、ホームセンターやニトリやら・・・大型店がたくさんあります。飲食店も普通に営業しているようです。

ナビを見たら、そこから湊小学校までほんの6キロくらい。こんなに近くに普通の町があるというのに、どうして避難所で物資不足が起きちゃうわけ?

渋滞している一般道を進んでいくと、小学校から2-3キロのあたりから徐々に津波の爪後が見え始めてきました。

そして小学校の手前の橋の周囲なんて、もうがれきだらけです。橋が残ってるのが奇跡のようです。橋が落ちてたら孤立でしたね・・・。

そして小学校に到着。

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いつも話をしている責任者の方が見当たらず、ボランティアで入ってそこを仕切っている風の人が出てきて、最初かなり混乱してしまいました。一般からの物資は受け付けていないので、やけに高ぴーな口調で、誰の許可で何を持って来たのかと言います。この人はこの後も問題を起こしまくり、うちのチームからはかなり文句が上がってましたが。偉そうで、混乱ばかり起こし、そして何もしてないんですよ。テントの下でずっとお茶を飲んでるの。なんなんだ、あのボランティアは?

やっと責任者の方を見つけ、搬入先を指示していただき、荷物を下ろし始めました。

1日のボランティア活動を終えて帰って来た外人集団が一列になり、リレーで体育館の奥まで物資を運びます。この図は圧巻でしたよ。ビデオを撮りましたので、よかったらご覧ください。



時間のない方のために写真もつけときます。
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しかし、ショックだったのはこれ。

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わかります?

受付の横に、段ボール箱に手書きで書かれた「メニュー」があり、今日のメニューは一人分、水500ml、おにぎり2個、パン2個、カップの味噌汁1つ、おかし1つなんですよ!!その横に段ボール箱が並んでいて、水のペットボトル、コンビニのおにぎり、おいしそうじゃないコンビニのパン、お湯を入れるカップのお味噌汁が入ってるんです・・・。

1カ月もたって、未だにこんな食事なの?

この避難所、まだ水もガスも電気も来てないんです。そこに300人も避難生活を送ってるんです。

今日、野菜や缶詰をたくさん搬入したので、少しはまともなものを食べていただけるかと思いますが、それでも300人ですからすぐになくなってしまうでしょう。

税金や義捐金が回ってきていれば物資を購入することだってできるんですよ。でも、おそらく支援物資だけでまかなってるんじゃないでしょうか・・・。最初の2-3日ならともかく、1カ月もたってこんな調子じゃ身体がおかしくなりますよ。

そして、土曜は実家に泊り、日曜は朝の6時半過ぎには家を出て、再び石巻に向かいました。

やはり渋滞していて、2時間くらいかかりました。距離にして70キロくらいです。やはり遠いですね。

今回のメンバーは70名くらいで、結局、ピュアな日本人は私と上さまと、独身女性が一人と、母子家庭の母子の計5人でした。あとは日本人だけど、帰国子女な人か外国人でした。

最初は小学校の校庭に積み上げられた土を土嚢袋に詰めて運び出す仕事をしていました。

泥を1か所に集めたのはいいんだけれど、もう乾いているので、風が吹くとものすごい砂ぼこりになるんですよ。車はすぐに色がわからないくらいになってしまいます。

しかし、山盛りの土をシャベルで土嚢袋に入れて運び出す仕事は永遠に続きます。人力ではなかなか終わりません。

途中で小学校のゴミ置き場だった場所に流れ着いたゴミを取り出す作業に移りました。こんなところまで瓦やら窓のサッシやらCDやら服やら・・・いろんなものが流れ着いています。もちろん泥と一緒なので、物を掘り出しながら泥を土嚢袋にまとめていくわけです。

それから20分でクイックランチを取り、午後は近所のお宅の泥出し作業に行きました。結構大きなおうちで、1階には2部屋の大きな部屋があり、あと台所とお風呂などがあるのですが、とにかくメタメタです。

写真に撮ろうかと思ったけれど、気の毒でとてもカメラを出す気になれませんでした。

水を含んで重くなった畳、お仏壇、服、みかん、タンス、タンスの引き出し、鏡台、りんご、本、紙類、割れたガラス・・・そんなものが、積み重なり、それらが泥に埋まっているんです。

一体どこからどう手を付けていいものやら・・・と思いましたが、とにかくぬるぬるで、長靴で入ると足が抜けなくなるような泥の中を家に上がり、片っ端から出口側に移動させ始めました。

お位牌が見つかっていないとのことで、お位牌を探しながら注意深く泥を出していきます。残念ながら今日はお位牌を見つけることが出来ませんでしたが。

ほとんどの物は捨てるので、近所のがれき置き場に運んで行きます。

お財布とか、保険証とか、大事そうなものをいくつか見つけました。

途中、一度、緊急地震速報の音が鳴り、みんなで家の外に出ました。震源は福島だったので揺れもなく、何ともありませんでしたが、まだまだ余震は続いているので、家が倒壊するリスクもありますから気を付けないとね。

それにしても大勢でやるとすごいもので、3時間ほどで2部屋が空っぽになりました。水が出ていないので掃除まで出来ませんでしたが、泥もほとんど掻き出せました。

その後、台所や廊下を少しやり始めたのですが、これは終わりそうもないので、東京に帰らなきゃいけないから今日はここまでとおうちの方にお伝えしました。

そして来週また大勢で来て残りをやることを約束し、連絡先を交換しました。

私が家電などの物資を集めて送っていることを申し上げると、それは是非欲しいとおっしゃるので、集まったらお送りすることも約束しました。

そこは若夫婦の奥様のご実家のようで、若夫婦と、そのおうちに住んでいらっしゃるお母様と、おじさんなどが来て一緒に働いておられました。津波の日はたまたま若夫婦がご実家にいらっしゃったらしく、一緒に避難されてご無事だったそうです。でも、あとで見に来てみたらこんな状態になっていたので、お母様はずっと娘さんご夫婦のお宅にいらっしゃるそうです。早くからボランティアセンターにボランティア派遣のお願いを出されていたそうですが、なかなか順番が回ってこなくて、1カ月もたった今頃私たちが派遣されたというわけです。

「こんなにしてもらえるとは思ってもみなかった、みなさん、普通に働いていらっしゃる方なんでしょ?、私なら他の場所でこんなことがあっても、とてもかけつけたり出来ないと思うのに、こんなにまでしていただいて・・・」

と奥様は涙ぐんでいらっしゃいました。

そして最後にご家族も入ってみんなで写真を撮りました。

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また後日書きますが、服や家電などの物資を直接お送りしている方々からも喜びの声がどんどん届いていて、支援しているこちらもものすごくうれしいですね。ただの募金と違って顔の見える支援の醍醐味です。

経験したことのない人には分からないでしょうけど、これはほんとに経験してみた方がいいと思いますよ。

知らない人でも困っている人がいたら出来る限りのお手伝いをする。みんながお互いにそうやっていたら、困っている人は随分減るはずだと思うんだけどなぁ。

午後4時に石巻を出発して帰路に着きました。道中、食事をしたりもしましたが、結局8時間かかり、着いたのは午前0時頃でした。石巻は遠いですねぇ。

途中、高速の名取あたりで見える景色は3週間前と変わらず、今もがれきの山が広がり、あちこちに車が転がっています。全く手が回っていないんでしょうね。

公道や公の建物は国や地方が修理しますが、個人の土地や建物は国はやってくれないんですよ。所有者本人がやらざるを得ないんです。自分たちで出来ないほどの状況の場合、取りうる手は人を雇うかボランティアに頼るかしかないでしょ?ボランティアはどれだけいても足りないんですよ。ほんとに肉体労働を必要とする仕事が無限にあるんですから・・・。

まあ確かに、手弁当で東京からボランティアをしにいくのには時間もお金もかかりますから、誰だって出来るわけじゃないとは思います。阪神と違って都市圏から遠いのがネックだそうですからね。

中にはテントと寝袋を持って宿泊費をかけずに被災地に住み込んでボランティアを続けている方もいらっしゃいます。

私たちは余裕をかましているのでちょっと申し訳ないですが・・・。

ちなみに、乗用車に4-5名相乗りで出かけ、金・土の二日を秋保の温泉旅館の支援隊パックで一泊2食付き7500円で大部屋雑魚寝という条件で、交通費が一人5000円、宿泊費が1万5000円で、計2万円くらいかかっています。あと、最初に泥出し作業ギアを用意する必要があります。具体的には、ヘルメット、ゴーグル、マスク、汚れてもいいレインウェアなど、長靴、シャベル、ゴム手袋などです。

そんなにお金をかけるくらいなら、そのお金を寄付して人を雇った方がいいんじゃないかと言う人もいそうですけど、お金を使って人を雇って民間の家を掃除する仕組みは今はないし、おそらく雇われている人手は、そもそも公道や公の建物を直したり、仮設住宅を建てたり、避難所を運営したりするだけで、十分に使い果たされ、やっぱり人手そのものが足りないんだと思いますよ。

てなことで、みなさん、いま一度考え直して、行ってみようかな、という気になったら、気が変わらないうちにご連絡ください。一度行ってみたら、ハードルは思ったよりずっと低いって分かりますよ。

この記事へのコメント

あつこ
2011年04月18日 06:13
いやー、お疲れ様でした。それにしてもこの食事はひどいね。数日前、避難所住民の30パーセントくらいは一度もお風呂に入っていないと言う記事も読みました。もう一ヶ月も経ってるのに。最初の2週間くらいは仕方がないとしても、こうなってきたらちょっと政府の対応が?????だと思います。
お金を出して人を雇っても日当のほかに結局同じだけ諸経費がかかるから、ボランティアにはかえられませんよ。ご苦労様です。
管理人
2011年04月18日 09:16
あつこ>お風呂も最近までなかったところが多いようです。最近はボランティアが入ってお風呂を作ったりもしてますよ。もしかしたらまだお風呂がないところもあるのかも。ほんと明らかに政府のせいです。そもそも民主党は好きじゃなかったんだけど、ここまでひどいとは・・・。自然災害の上に大きな二次災害ですよ。
ヤス
2011年04月29日 19:30
はじめまして。
記事拝見させていただきました。
誤りがあっては、この記事を読んだ方が食糧を持って湊小学校に向かってしまうので訂正しますが、少なくとも避難所の方はこの食事の他に自衛隊と民間合同の炊き出しを毎日提供されてますし、近隣の方も朝のこの配食以外に全員ではないですがお昼に炊き出しに並んでいます。
あとお風呂も今は完成しましたが、それ以前にも自衛隊のシャワー施設の送迎が一日三回来ていました。
せめている訳ではありませんが、内情を浅くしか知らずに記事にしてしまうと、となたかが善意で足りている食糧を頑張って持って来てくれる可能性がありますので…
管理人
2011年05月01日 17:11
ヤスさん>そうですね、もう湊小学校は物資は足りてきたようですね。南から徐々に物資が北上していっている気がします。